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まどろみのロマンティシズム

島田 沙菜美

審査委員:
海老 洋 佐藤 道信 宮北 千織 梅原 幸雄

  本論文では、非現実の夢想世界へとまどろむことで創造し得る幸福の追求、ロマンティシズムについて論じる。
 誰しもが夢を見る。道徳や倫理が存在する現実世界では、実現不可能な理想にまどろむことが幸福そのものであり、生きていく中で必要不可欠なことになる。
 ウォルト・ホイットマンの詩『Song of Myself』(ぼく自身の歌)は、次のように言う。

  ぼくは道を転じて、動物たちとともに暮らせるような気がする
  彼らはあんなに穏やかで、自足している
  ぼくは立って、いつまでもいつまでも、彼らを見る
  彼らは、おのれの身分のことでやきもきしたり、めそめそしたりしない
  彼らは、暗闇の中で目ざめたまま罪を悔やんで泣いたりしない
  彼らは、神への義務を論じ立てて、ぼくに吐き気を催させたりしない
  一匹だって、不満をいだかず、一匹だって、物欲に狂っているものはない
  一匹だって、仲間の動物や何千年も前に生きていた先祖にひざまずくものはいない
  一匹だって、お上品ぶったり不幸だったりするやつは、広い地球のどこにもいない

 ノーベル文学賞を受賞したバートランド・ラッセルの著書、『幸福論』の冒頭でも引用されているこの詩は、自由を夢見る彼の、人間への皮肉とアンチテーゼといえる。同時に、ここに書かれた人間らしさは魅力的でもある。友情に悩み、恋に焦がれ、夢を追い、偶像神話に支えられながら、ひたすらに正体不明の幸せを求めていく人間の様は、滑稽だが懸命で愛おしい。知性の進化の代償が、後悔と懺悔ならば、想像力は救いのための授かりものといえる。
 これまで制作した作品では数多くの女性を描いてきたが、彼女たちは常に夢想世界にまどろみ、現実ではない場所で理想と幸福を夢見ている。
 まどろみは、現実世界の不安に裏打ちされながら、夢とうつつの間で幸福にひたる、ロマンティシズムに通じる行為そのものといえる。本論文は、このまどろみについて考察し、自身の作品を論究する制作論である。
 本論文は次の3章で構成される。
 第1章「まどろみの開示」では、古代から近代までに作られたまどろみの世界に焦点を当て、その存在意義について述べる。第1節「夢にまどろむ
」では、自身がまどろみの世界を表現するに至った経緯と、その原点となった作品をとりあげる。第2節「うつつにまどろむ」では、とくに表現主義に見る人々の思想や表現の変化に着目し、そこでのまどろみを分析する。ありふれた事柄からおよそ現実では成し得ることの困難なものまで、人々が思いを馳せてきた理想について考察し、それぞれの時代のまどろみに焦点をあてる。そして、自身が描くまどろみの世界に必要不可欠となる要素は何かについて述べる。
 第2章「まどろみの行方」では、自身の幼少期をふり返ることで、まどろみの世界を形成するに至ったきっかけを探り、今日の制作との関わりを考察する。また、デジタル社会の現代における人々の思想と幸福概念の変化について述べる。第1節「現実逃避にまどろむ」では、発展する現代で薄れていく宗教信仰の代わりに、人々の拠り所となるべき存在に言及し、現代における現実逃避とまどろみの関係性を探る。第2節「理想郷にまどろむ」では、娯楽施設のテーマパークをとり上げ、現代の人々がもつ不安と非現実への憧憬が、実は現代社会の“自由”に拘束されていること、そして現実からの逃避を夢見てまどろむ現状について述べる。
 第3章「まどろみの世界」では、1章と2章を踏まえ、自作品が描く夢見る世界について論述する。第1節「幸せにまどろむ」では、自作品で夢想世界を構成しているモチーフと、それらの照応関係について述べ、第2節「提出作品解説」で、博士展提出作品について解説する。
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まどろみのロマンティシズム

島田 沙菜美