普段は意識することも知る機会もない事物の成り立ちや背景は、めまぐるしいスピードで情報が行 き交う現代の生活に忘れられがちである。人は現実と意識、日常と非日常の行き交いのなかに生きて いる。事物もまた日常と非日常をまたいで存在している。行き交う混乱が日常と化している今、非日常 とはより激しく華美でなければならないのだろうか。忘れがちな事物の成り立ちや背景は、普段の生 活からすれば非日常的である。異質な非日常と対峙するとき、安定した意識は揺さぶられ、今現在と いう時間から離れる。それは私の創造の原点になる。日常の中には何気ない非日常への扉がたくさん あり、それに気がつくかどうかの問題なのである。金属の鋳造に至るまでにも、予測しなかった現象 や、思いがけない素材の性格に直面することがある。非日常的とも言える鋳金という技法は、単に原 型を金属に置き換える技術としてではなく、人類が生み出した技法の一つとしてその創造の世界観を注 視するべきである。それが人の思想や事物を捉える感覚に与える影響は普遍的で深いものだろう。私 は鋳金によって自身の実感を鋳物という金属に留め、一見矛盾する非日常性と親和性のうちに共感と 連鎖を図ろうとする。
本論文は繰り返し訪れる非日常との出会いを受け入れ、その応えとして鋳金という世界観の中で自身がたどり着いた表現研究とその可能性と、博士審査展提出作品について論じるものである。
論文は3章からなり、以下のとおりである。
第1章「暮らしの中の非日常」では、自身の創作の原点となる非日常との出会いから、それが人の 創造性と心、感覚(クオリア)に与える影響を考察し、自身の現在の創作姿勢を明らかにする。第1 節では日常において、夢や想像といった個人的な経験を含めた非日常の定義を明らかにする。鋳金の 制作においても重要な要素である「偶然性」を含め、非日常に出会った時に人の意識や感覚は現在と いう時間から逸脱している。そして非日常と出会うことで人は心を構えて創造性を活かし、共感を生み だす。非日常は感覚(クオリア)・心によって生まれながらも、感覚(クオリア)・心を深めるもので もある。第2節では茶室における茶道具を例に、暮らしの中で日常と非日常をまたいで存在する事物 は「意味の余白」という特徴をもっていることを述べる。自身が素材として用いる金属についても、鋳物という金属として、その日常性・非日常性が、暮らしや生活に寄り添いながら他者との共感につな がる創造の可能性をもつことを指摘する。
第2章「鋳金という世界観の中で」では鋳金という技法の世界観がいかなるものか、どのように自 身の感覚と一体となって作品に現れるのかを、その制作姿勢に至った経緯を制作工程を辿りながら論じる。第1節では自身の修了作品制作において鋳造の欠陥による偶然の造形を作品に取り入れたこと を契機に、蝋原型の変形というより能動的に予測不可能性や偶然性といった要素を取り入れた表現方 法に至った経緯を述べ、さらに蝋型鋳造の特質について再考する。蝋はその性質をもって鋳物の「柔 らかみ」を実現し、普遍的な存在感を現すことができる。蝋の変形はその普遍性を保ちつつ瞬間瞬間 に受けている影響を留めるように自身がたどり着いた表現なのである。第2節では蝋原型の制作から 鋳造に至るまでの工程に内包する異なる時間感覚を述べる。鋳型制作は他の金工技法とその世界観が 異質であることが最もわかる工程であり、そこに見出される東洋的思想や感覚は特に蝋真土鋳造法に おいて最大限にその世界観を実感しうるものである。それは、形に現すための手段であると同時に、 時間や空間の意識を超えて一体となっている世界や事物の把握でもある。第3節では古代から変わらな い原理で行われる「吹き」と呼ばれる鋳込みの作業について、共感という観点から考察する。窯焚き から鋳込みは大量の熱エネルギーを伴うまさに非日常的な空間である。その一瞬の気も抜けない緊張感と不可視性や不確実性が神秘性、神聖性を高めているのだろう。不可視性と不確実性は意識の集中と観察力、直感的な判断力をも高める。そして表情や行為を観察して、雰囲気を感じ取って理解しよう とするコミュニケーション、他者との共感も、こうした「意味の余白」にも通じる「見えない」「語ら ない」ことが引き起こすのである。第4節では仕上げと着色について述べる。仕上げと着色は金属表面の質感と色が与える印象や感覚的な影響を直接的に探求する工程である。普遍的な鋳物の柔らかみ を生むためにはここでも偶然という非日常との出会いがあり、駆け引きの時間でもある。
第3章では、博士審査展提出作品「なんでもない花を束ねるように」について述べる。第1節では 提出作品のコンセプト、モチーフである花と自身の「距離」について述べる。第2節では提出作品に至るまでの試作品、技法研究と具体的な制作工程を詳述する。
本論文は繰り返し訪れる非日常との出会いを受け入れ、その応えとして鋳金という世界観の中で自身がたどり着いた表現研究とその可能性と、博士審査展提出作品について論じるものである。
論文は3章からなり、以下のとおりである。
第1章「暮らしの中の非日常」では、自身の創作の原点となる非日常との出会いから、それが人の 創造性と心、感覚(クオリア)に与える影響を考察し、自身の現在の創作姿勢を明らかにする。第1 節では日常において、夢や想像といった個人的な経験を含めた非日常の定義を明らかにする。鋳金の 制作においても重要な要素である「偶然性」を含め、非日常に出会った時に人の意識や感覚は現在と いう時間から逸脱している。そして非日常と出会うことで人は心を構えて創造性を活かし、共感を生み だす。非日常は感覚(クオリア)・心によって生まれながらも、感覚(クオリア)・心を深めるもので もある。第2節では茶室における茶道具を例に、暮らしの中で日常と非日常をまたいで存在する事物 は「意味の余白」という特徴をもっていることを述べる。自身が素材として用いる金属についても、鋳物という金属として、その日常性・非日常性が、暮らしや生活に寄り添いながら他者との共感につな がる創造の可能性をもつことを指摘する。
第2章「鋳金という世界観の中で」では鋳金という技法の世界観がいかなるものか、どのように自 身の感覚と一体となって作品に現れるのかを、その制作姿勢に至った経緯を制作工程を辿りながら論じる。第1節では自身の修了作品制作において鋳造の欠陥による偶然の造形を作品に取り入れたこと を契機に、蝋原型の変形というより能動的に予測不可能性や偶然性といった要素を取り入れた表現方 法に至った経緯を述べ、さらに蝋型鋳造の特質について再考する。蝋はその性質をもって鋳物の「柔 らかみ」を実現し、普遍的な存在感を現すことができる。蝋の変形はその普遍性を保ちつつ瞬間瞬間 に受けている影響を留めるように自身がたどり着いた表現なのである。第2節では蝋原型の制作から 鋳造に至るまでの工程に内包する異なる時間感覚を述べる。鋳型制作は他の金工技法とその世界観が 異質であることが最もわかる工程であり、そこに見出される東洋的思想や感覚は特に蝋真土鋳造法に おいて最大限にその世界観を実感しうるものである。それは、形に現すための手段であると同時に、 時間や空間の意識を超えて一体となっている世界や事物の把握でもある。第3節では古代から変わらな い原理で行われる「吹き」と呼ばれる鋳込みの作業について、共感という観点から考察する。窯焚き から鋳込みは大量の熱エネルギーを伴うまさに非日常的な空間である。その一瞬の気も抜けない緊張感と不可視性や不確実性が神秘性、神聖性を高めているのだろう。不可視性と不確実性は意識の集中と観察力、直感的な判断力をも高める。そして表情や行為を観察して、雰囲気を感じ取って理解しよう とするコミュニケーション、他者との共感も、こうした「意味の余白」にも通じる「見えない」「語ら ない」ことが引き起こすのである。第4節では仕上げと着色について述べる。仕上げと着色は金属表面の質感と色が与える印象や感覚的な影響を直接的に探求する工程である。普遍的な鋳物の柔らかみ を生むためにはここでも偶然という非日常との出会いがあり、駆け引きの時間でもある。
第3章では、博士審査展提出作品「なんでもない花を束ねるように」について述べる。第1節では 提出作品のコンセプト、モチーフである花と自身の「距離」について述べる。第2節では提出作品に至るまでの試作品、技法研究と具体的な制作工程を詳述する。