はじめに
京都市内にある千本釈迦堂の名で知られる大報恩寺には、聖観音菩薩・千手観音菩薩・馬頭観音菩薩・十一面観音菩薩・准胝観音菩薩・如意輪観音菩薩から成る六観音菩薩像(以下、本群像)が伝来している。
本群像は、いずれも等身像でカヤ材を用いた素地仕上げであることから、檀像を踏まえた造像であると考えられている。また、頭髪の装飾性、複雑な衣文表現などから、「宋風彫刻」の代表的な作例とされ、作風の成立要因について諸先学によって様々な論考がなされてきた。しかし、群像制作による作風の統一性や群像の造像技法においては不明な点が多く、特に6軀一具の群像であるにも関わらず、個々に異なった構造が採用されている点などは明らかではない。
本論は、六観音像のうち准胝観音像の模刻制作を行い、得られた知見から鎌倉時代のカヤ材を用いた群像制作の制作工程について考察を行う。
第1章 大報恩寺六観音菩薩像について
本章ではまず、先行研究における本群像の位置付けについてあらためて確認し整理する。
研究対象である本群像は、貞応3年に大檀那藤原以久と女大施主藤氏の発願になることが明らかになっており、肥後別当定慶により制作されたものであると知られている。
定慶という仏師は、東京藝術大学蔵毘沙門天像や鞍馬寺聖観音菩薩像の作があり、石龕寺金剛力士像の墨書銘から元暦元年生まれであることが知られている。このため、本群像は定慶が41歳の作ということがわかる。
本群像は、宋代美術からの影響を受けているという見方が大半を占めていたが、近年では基本的な形は運慶作例に原型が求められると指摘され、さらに細部の彫刻表現は、平安初期彫刻の影響によって完成されたと考えられている。
第2章 准胝観音像の造像工程について
本章では、准胝観音像の模刻制作の制作工程を記述する。准胝観音像の模刻制作を通じ、材料や技法が制作工程にどのような影響を与えるかについて検証する。
准胝観音像は、木芯を外した半割のカヤ材を使用し、木表を正面に頭体幹部の大部分を1材から彫出している。模刻制作では、原像と同じくカヤを用い、実寸・同様の構造で造像を再現した。准胝観音像は髻を含んだ耳後ろを通る位置で頭体幹部を前後に割矧いでいる。造形後に髻から割矧ぎを行うことは困難であると判断し、半割材をまず割矧ぎ造形する工程で制作を行った。割裂性の悪いとされるカヤ材の割矧ぎ検証を行った結果カヤ材は、繊維が絡むことから製材には適さないことが明らかになった。
准胝観音像の木取りを検証した結果、半割材から造像された可能性が考えられ、割り矧ぎ検証の結果を踏まえ、准胝観音像の造像は角材からではなく、半割材を用い造像された可能性を示した。
半割材は、図面の転写が困難であることから、型の介在による可能性が考えられた。模刻制作では、カヤの割裂性の悪さから矧ぎ面が合わず、図面転写が困難であったため、型を用いて像の輪郭線を設定し、余分な材を落とすことができた。これにより、カヤの半割材の割矧ぎという制作工程では型による輪郭線を基準が不可欠であると判断した。
模刻制作では、カヤ材の性質からヒノキ材での造像とは異なる工程や工夫によって制作されたことがわかった。
3章 六観音菩薩像の比較
本章では、本群像の他5軀を含め、構造や造形の差について述べる。先行研究では、本群像の造形表現の違いを担当仏師による差と論考している。しかし、その解釈には違いが見られることから、構造や制作工程の側面から担当仏師による差についての考察を加える。
構造・木取り・側面輪郭線・造形表現の比較から、聖観音像・千手観音像・馬頭観音像と、十一面観音像・准胝観音像・如意輪観音像の2グループに分けられた。これは、異なる作者の存在の可能性が考えられる。
制作工程について考察を行った結果、聖観音像・千手観音像・馬頭観音像のグループには制作工程の合理化が見られ、十一面観音像からは、不合理とも思える造形の拘りがあることを示した。
比較によって、6軀が2つのグループに分けられ、それぞれ別の仏師が共通の基準によって制作された可能性を示した。さらに、聖観音像・千手観音像・馬頭観音像のグループは十一面観音像の制作を踏まえ、より合理的に造像したものと考えられる。
総括
総括では、これまでに考察した制作工程を踏まえ、半割材からの造像である可能性を示し、鎌倉時代においてカヤという檀像制作の規範に拠りながらもヒノキで培った技法によって群像を合理的に造像したものであると推論した。
半割材は、カヤ材の同一箇所から大径材と小径材に半割材が製材できることから、割り製材を行い、群像制作に用いられた可能性を指摘した。
また、群像制作では、十一面観音像を先行して造像し、他5軀はそれを踏まえ、より合理的な制作工程によって造像し、3軀ずつに異なる構造・制作工程は、材の寸法に加え定慶工房と他同門の仏師によって制作され、群像制作での造形の基準を共有したことを推論した。
京都市内にある千本釈迦堂の名で知られる大報恩寺には、聖観音菩薩・千手観音菩薩・馬頭観音菩薩・十一面観音菩薩・准胝観音菩薩・如意輪観音菩薩から成る六観音菩薩像(以下、本群像)が伝来している。
本群像は、いずれも等身像でカヤ材を用いた素地仕上げであることから、檀像を踏まえた造像であると考えられている。また、頭髪の装飾性、複雑な衣文表現などから、「宋風彫刻」の代表的な作例とされ、作風の成立要因について諸先学によって様々な論考がなされてきた。しかし、群像制作による作風の統一性や群像の造像技法においては不明な点が多く、特に6軀一具の群像であるにも関わらず、個々に異なった構造が採用されている点などは明らかではない。
本論は、六観音像のうち准胝観音像の模刻制作を行い、得られた知見から鎌倉時代のカヤ材を用いた群像制作の制作工程について考察を行う。
第1章 大報恩寺六観音菩薩像について
本章ではまず、先行研究における本群像の位置付けについてあらためて確認し整理する。
研究対象である本群像は、貞応3年に大檀那藤原以久と女大施主藤氏の発願になることが明らかになっており、肥後別当定慶により制作されたものであると知られている。
定慶という仏師は、東京藝術大学蔵毘沙門天像や鞍馬寺聖観音菩薩像の作があり、石龕寺金剛力士像の墨書銘から元暦元年生まれであることが知られている。このため、本群像は定慶が41歳の作ということがわかる。
本群像は、宋代美術からの影響を受けているという見方が大半を占めていたが、近年では基本的な形は運慶作例に原型が求められると指摘され、さらに細部の彫刻表現は、平安初期彫刻の影響によって完成されたと考えられている。
第2章 准胝観音像の造像工程について
本章では、准胝観音像の模刻制作の制作工程を記述する。准胝観音像の模刻制作を通じ、材料や技法が制作工程にどのような影響を与えるかについて検証する。
准胝観音像は、木芯を外した半割のカヤ材を使用し、木表を正面に頭体幹部の大部分を1材から彫出している。模刻制作では、原像と同じくカヤを用い、実寸・同様の構造で造像を再現した。准胝観音像は髻を含んだ耳後ろを通る位置で頭体幹部を前後に割矧いでいる。造形後に髻から割矧ぎを行うことは困難であると判断し、半割材をまず割矧ぎ造形する工程で制作を行った。割裂性の悪いとされるカヤ材の割矧ぎ検証を行った結果カヤ材は、繊維が絡むことから製材には適さないことが明らかになった。
准胝観音像の木取りを検証した結果、半割材から造像された可能性が考えられ、割り矧ぎ検証の結果を踏まえ、准胝観音像の造像は角材からではなく、半割材を用い造像された可能性を示した。
半割材は、図面の転写が困難であることから、型の介在による可能性が考えられた。模刻制作では、カヤの割裂性の悪さから矧ぎ面が合わず、図面転写が困難であったため、型を用いて像の輪郭線を設定し、余分な材を落とすことができた。これにより、カヤの半割材の割矧ぎという制作工程では型による輪郭線を基準が不可欠であると判断した。
模刻制作では、カヤ材の性質からヒノキ材での造像とは異なる工程や工夫によって制作されたことがわかった。
3章 六観音菩薩像の比較
本章では、本群像の他5軀を含め、構造や造形の差について述べる。先行研究では、本群像の造形表現の違いを担当仏師による差と論考している。しかし、その解釈には違いが見られることから、構造や制作工程の側面から担当仏師による差についての考察を加える。
構造・木取り・側面輪郭線・造形表現の比較から、聖観音像・千手観音像・馬頭観音像と、十一面観音像・准胝観音像・如意輪観音像の2グループに分けられた。これは、異なる作者の存在の可能性が考えられる。
制作工程について考察を行った結果、聖観音像・千手観音像・馬頭観音像のグループには制作工程の合理化が見られ、十一面観音像からは、不合理とも思える造形の拘りがあることを示した。
比較によって、6軀が2つのグループに分けられ、それぞれ別の仏師が共通の基準によって制作された可能性を示した。さらに、聖観音像・千手観音像・馬頭観音像のグループは十一面観音像の制作を踏まえ、より合理的に造像したものと考えられる。
総括
総括では、これまでに考察した制作工程を踏まえ、半割材からの造像である可能性を示し、鎌倉時代においてカヤという檀像制作の規範に拠りながらもヒノキで培った技法によって群像を合理的に造像したものであると推論した。
半割材は、カヤ材の同一箇所から大径材と小径材に半割材が製材できることから、割り製材を行い、群像制作に用いられた可能性を指摘した。
また、群像制作では、十一面観音像を先行して造像し、他5軀はそれを踏まえ、より合理的な制作工程によって造像し、3軀ずつに異なる構造・制作工程は、材の寸法に加え定慶工房と他同門の仏師によって制作され、群像制作での造形の基準を共有したことを推論した。