Japanese Painting
閃きと10のフェイズ
川﨑 麻央
私にとっての創作行為とは、一瞬の閃きを確かな実在へと自身の内側から引きずり出す試みである。それは一瞬の閃光によって照らし出された自身の捉えどころのない心の質を、一つ一つ丁寧に思い出し、触れていく様な感覚である。とめどない連想と選択の果てに、閃きの姿は一枚の絵画となり、当初の鮮やかな鋭さを纏って私の前に立ち顕れる。
本論文では、自己の創作プロセスを10のフェイズ(段階)に分けて論じた。10のフェイズとは、禅画の「十牛図」からヒントを得たものである。「十牛図」とは、真の自己ないしは悟りを牛に見立て、これを探し求めていく道筋を十の図で表したものである。私はこの「十牛図」と出会って、混沌と分散した自分の創作方法・考え・目標・集中力が、一つの方向へ集結・凝縮し、流れ出すような感動をおぼえた。「十牛図」は、人の修行の過程を具体的に明示しているため、自分の創作過程を自ら分析し、自身を鼓舞するのに大変実用的で、如何なる人、年齢でも役立つ普遍的な実用書と言える。そこで、この「十牛図」を参考に自身の創作過程を考察することで、自身が自己を認識する指標としうるのではないかと考え、これを論文構成の軸とした。
一瞬の閃きは、絵画となって私の外に出なければ、真に自身の経験とすることはできない。私は私の経験を完了させるために、様々な試行錯誤を繰り返していく。自身の閃きに対し、どう挑み、実現化していったのか。本論文ではその閃きと創作の道程を、10のフェイズで明示した。
本論文は3章で構成される。
第1章「閃きと10のフェイズ」では、閃きと創作プロセスの概念を述べた。第1節「閃きの構造」では、普段の制作現場で実際に私が閃きを得ている「墨流し・石」「コラージュ・過去の創作資料」をキーワードに、自己の創作における着想の仕方を具体的に述べ、閃きの構造は、既存の要素の新しい組み合わせでしかないという事実を、それによって生まれた自作品と共に論じた。「墨流し・石」は、流動と静止という矛盾する動きを同時に持ち、捉えどころのない予感に満ちた質がある。渦模様や地層、結晶配列などの名もなき模様は、私の潜在欲求を思い出させるように、イメージをビジュアルとして引き出してくれる。「コラージュ・過去の創作資料」では、「全体は部分の総和ではない」というゲシュタルトの基本原理を用いながら、部分の総和以上の何かを見てしまう人間の習慣が、分解と再構成を繰り返すコラージュや、過去の創作資料を眺めることで、そこから思いがけないイメージを生み出す事実について述べた。第2節「十牛図」では、十牛図の解説を踏まえながら、十牛図で人が牛を追いかけていく世界観と、創作過程で私が閃きを追いかけていく様との合致を示し、自己の創作プロセスも、10のフェイズで明示することが可能であることを論じた。
第2章「創作プロセスにおける4つのプロセス」では、自己の創作プロセスの10のフェイズを、4段階に区分し具体的に論じた。第1節は、「閃き」と「構想」をテーマとした。1.「閃き」では、閃きと出会う内的なフェイズが、一瞬の閃きから次々に連想を生み、イメージが一気に膨らんでいくきっかけを述べた。2.「構造」では、膨らんだイメージを具体的に収集、選択し、イメージを凝縮していく構想的フェイズについて述べ、自分にとって、捉えることが難しい対象に臨むことで、自己の新しい潜在性が引き出されていく様子を示した。第2節は、「決断」と「本画」をテーマとした。3.「決断」では、素描や下図を制作しながら、様々に構想したイメージを、一つの画面に決断するフェイズについて述べた。対象の様々な動きやスピード感といった、客観的な質と主観的な質は、能動的反復の試作によって向上していく中で、一瞬であった閃きが、質量を得た実感へと変わる。マチエール研究や下図制作による、閃きの細部(素材、技法)の決定方法について解説した。4.「本画」では、実際に本画を制作するフェイズとして、絵を描くことによって私は何を得たのか、そしてどのように次の制作へと繋げていくのかについて言及した。
第3章「提出作品における10のフェイズ」では、第1節で「百の木草も天照らす」について、第2節で「解けよやもどけ」について、それぞれを10のフェイズで解説した。
終章では、創作プロセスに、大きな枠組みとしてのフェイズ感覚を持つことによって、作品にどのような変化があったのかについてまとめた。
本論文では、自己の創作プロセスを10のフェイズ(段階)に分けて論じた。10のフェイズとは、禅画の「十牛図」からヒントを得たものである。「十牛図」とは、真の自己ないしは悟りを牛に見立て、これを探し求めていく道筋を十の図で表したものである。私はこの「十牛図」と出会って、混沌と分散した自分の創作方法・考え・目標・集中力が、一つの方向へ集結・凝縮し、流れ出すような感動をおぼえた。「十牛図」は、人の修行の過程を具体的に明示しているため、自分の創作過程を自ら分析し、自身を鼓舞するのに大変実用的で、如何なる人、年齢でも役立つ普遍的な実用書と言える。そこで、この「十牛図」を参考に自身の創作過程を考察することで、自身が自己を認識する指標としうるのではないかと考え、これを論文構成の軸とした。
一瞬の閃きは、絵画となって私の外に出なければ、真に自身の経験とすることはできない。私は私の経験を完了させるために、様々な試行錯誤を繰り返していく。自身の閃きに対し、どう挑み、実現化していったのか。本論文ではその閃きと創作の道程を、10のフェイズで明示した。
本論文は3章で構成される。
第1章「閃きと10のフェイズ」では、閃きと創作プロセスの概念を述べた。第1節「閃きの構造」では、普段の制作現場で実際に私が閃きを得ている「墨流し・石」「コラージュ・過去の創作資料」をキーワードに、自己の創作における着想の仕方を具体的に述べ、閃きの構造は、既存の要素の新しい組み合わせでしかないという事実を、それによって生まれた自作品と共に論じた。「墨流し・石」は、流動と静止という矛盾する動きを同時に持ち、捉えどころのない予感に満ちた質がある。渦模様や地層、結晶配列などの名もなき模様は、私の潜在欲求を思い出させるように、イメージをビジュアルとして引き出してくれる。「コラージュ・過去の創作資料」では、「全体は部分の総和ではない」というゲシュタルトの基本原理を用いながら、部分の総和以上の何かを見てしまう人間の習慣が、分解と再構成を繰り返すコラージュや、過去の創作資料を眺めることで、そこから思いがけないイメージを生み出す事実について述べた。第2節「十牛図」では、十牛図の解説を踏まえながら、十牛図で人が牛を追いかけていく世界観と、創作過程で私が閃きを追いかけていく様との合致を示し、自己の創作プロセスも、10のフェイズで明示することが可能であることを論じた。
第2章「創作プロセスにおける4つのプロセス」では、自己の創作プロセスの10のフェイズを、4段階に区分し具体的に論じた。第1節は、「閃き」と「構想」をテーマとした。1.「閃き」では、閃きと出会う内的なフェイズが、一瞬の閃きから次々に連想を生み、イメージが一気に膨らんでいくきっかけを述べた。2.「構造」では、膨らんだイメージを具体的に収集、選択し、イメージを凝縮していく構想的フェイズについて述べ、自分にとって、捉えることが難しい対象に臨むことで、自己の新しい潜在性が引き出されていく様子を示した。第2節は、「決断」と「本画」をテーマとした。3.「決断」では、素描や下図を制作しながら、様々に構想したイメージを、一つの画面に決断するフェイズについて述べた。対象の様々な動きやスピード感といった、客観的な質と主観的な質は、能動的反復の試作によって向上していく中で、一瞬であった閃きが、質量を得た実感へと変わる。マチエール研究や下図制作による、閃きの細部(素材、技法)の決定方法について解説した。4.「本画」では、実際に本画を制作するフェイズとして、絵を描くことによって私は何を得たのか、そしてどのように次の制作へと繋げていくのかについて言及した。
第3章「提出作品における10のフェイズ」では、第1節で「百の木草も天照らす」について、第2節で「解けよやもどけ」について、それぞれを10のフェイズで解説した。
終章では、創作プロセスに、大きな枠組みとしてのフェイズ感覚を持つことによって、作品にどのような変化があったのかについてまとめた。
審査委員
梅原幸雄 佐藤道信 手塚雄二 齋藤典彦
梅原幸雄 佐藤道信 手塚雄二 齋藤典彦