Japanese Painting
線と間隙の相克
重政 周平
絵の画面に生まれる線は、その表情や形態を生み出すために、様々な手法で描かれる。しかし、それは一本の線だけでなく、その周りに描かれる様々な痕跡との相関によって成り立っている。本論文では、日本画素材を使った絵画創作で、「線と余白の調和」から、密集した線による形態と間隙、そこから生まれる「線と間隙の相克」へと展開した変化と表現について論述する。
私の制作は、生活をしている中での風景としてある幾何的な直線や曲線から感じる形態をもとに、自己の捉え方、自己の思う理想のフォルムを再構築することで独自の絵画空間を探る。画面内で線によって形態を探り、摸索しながら描いていく。必要ではなくなった線や形態は、上から塗り潰す、または洗いおとすなどして、また摸索を続ける。そうして描かれた幾つもの線は集積の形態となり、そこには幾つもの間隙が生まれる。画面にできた線の集積と間隙は、どちらも互いに主張をする相克の関係となって力強い表現となる。私の求める線は間隙との相克によってできる集積の線である。
第1章では線を存在させるための余白との成り立ちと、絵画のもうひとつの余白ともいえる展示空間について分析する。幼少時に見ていた家の複雑な骨組みの天井や、おもちゃの設計図の線のイメージを絵画に求めていた私は下絵の白紙に模索して描かれた線に近い表現を感じる。探るように描かれる下絵の線や汚れは、余白との調和によって独自の美しさを作り出す。それは下絵だけではなく古来の余白思考を取り入れた作品からも様々な線と余白の表現がある。更に、展示空間との余白の関係を探り、ひとつの空間表現の方法としての大型作品の視覚心理変化に着目する・
第2章では当初のイメージである天井の複雑な構造と、それを見上げた時に感じる圧迫感を絵画で表現するために、“線の集積”と、そこから生まれる小さな余白の”間隙”に着目する。間隙は、あくまで”すき間”にすぎないが、線の集積の中で逆に強い存在となって画面に影響を与える。同時に線も力強い線となり、互いに主張する両者は”相克”の関係となって新たな表現の可能性を生む。そして線と間隙の相克は、高さのある大型の画面にすることで、見る者を呑み込むような迫力を作り出し、画面の中にいるような一体感を生み出す。
第3章では、第1章、第2章を踏まえ、「線と間隙の相克」の集大成となる提出作品「相克図」の解説をする。
展示空間に負けないために高さのある画面、横への広がりをつくるための連作、そして大型の画面で力強い線として存在できる線と間隙の関係を述べる。
私の制作は、生活をしている中での風景としてある幾何的な直線や曲線から感じる形態をもとに、自己の捉え方、自己の思う理想のフォルムを再構築することで独自の絵画空間を探る。画面内で線によって形態を探り、摸索しながら描いていく。必要ではなくなった線や形態は、上から塗り潰す、または洗いおとすなどして、また摸索を続ける。そうして描かれた幾つもの線は集積の形態となり、そこには幾つもの間隙が生まれる。画面にできた線の集積と間隙は、どちらも互いに主張をする相克の関係となって力強い表現となる。私の求める線は間隙との相克によってできる集積の線である。
第1章では線を存在させるための余白との成り立ちと、絵画のもうひとつの余白ともいえる展示空間について分析する。幼少時に見ていた家の複雑な骨組みの天井や、おもちゃの設計図の線のイメージを絵画に求めていた私は下絵の白紙に模索して描かれた線に近い表現を感じる。探るように描かれる下絵の線や汚れは、余白との調和によって独自の美しさを作り出す。それは下絵だけではなく古来の余白思考を取り入れた作品からも様々な線と余白の表現がある。更に、展示空間との余白の関係を探り、ひとつの空間表現の方法としての大型作品の視覚心理変化に着目する・
第2章では当初のイメージである天井の複雑な構造と、それを見上げた時に感じる圧迫感を絵画で表現するために、“線の集積”と、そこから生まれる小さな余白の”間隙”に着目する。間隙は、あくまで”すき間”にすぎないが、線の集積の中で逆に強い存在となって画面に影響を与える。同時に線も力強い線となり、互いに主張する両者は”相克”の関係となって新たな表現の可能性を生む。そして線と間隙の相克は、高さのある大型の画面にすることで、見る者を呑み込むような迫力を作り出し、画面の中にいるような一体感を生み出す。
第3章では、第1章、第2章を踏まえ、「線と間隙の相克」の集大成となる提出作品「相克図」の解説をする。
展示空間に負けないために高さのある画面、横への広がりをつくるための連作、そして大型の画面で力強い線として存在できる線と間隙の関係を述べる。
審査委員
齋藤典彦 佐藤道信 植田一穂 梅原幸雄
齋藤典彦 佐藤道信 植田一穂 梅原幸雄