Craft
記憶の痕跡
金 柄文
本論文は、金属鋳造作品の表面性の特徴と可能性、そこから得られる偶然性を独自の新たな造形に構築し、その造形が有する概念を考察することを目的とする。
美術工芸の分野において表面の色や質感、そして型は、金属鋳造作品を形成する三要素である。中でも色彩と質感は、鋳造作品の完成度を左右し、作家の概念や思想などを代弁する重要な要素であると同時に、鋳造作品としての表現の可能性を提示する必要不可欠の要素であり、また、作者と観者を疎通させる、媒体であるとも言える。私はこの三要素が、「音」、「匂い」、「場所」という自分だけの造形要素に染み込まれていることを提示する。
私が韓国で鋳造を学びながら、最も悩んだのは、鋳造されたもの(完成品)と自分のイメージとのアンバランスであった。言い換えれば、鋳造作品の最終の段階で、作品の完成度を左右する着色と表面処理技法の技術的な限界であった。私はその時から鋳造作品の色彩と質、すなわち表面着色と表面処理に関する研究の重要性を切実に感じるようになった。この考え方は、自分の作品制作で、大きな比重を占めるようになり、そこから自分だけの独創的な表現をしようとした。そこでは金属表面に生じる質と、自分の記憶の中に存在するものの接続に最大の主眼をおき、その接点はどこなのか、自分の記憶をいかに形として存在させられるかについて悩むようになった。この答えが、自分の鋳造行為と、幼年期のいかなるエピソードとの関連性にあるかを明らかにする。
鋳造行為とは、自分の感覚と感情を素材を用いて成形し、その形を最終的に金属に「変換」 させる行為をいう。言い方をかえれば、自分の考えや感情、感覚などから生じるエネルギーを、文化や芸術などのエネルギーに「転換」させる行為とも言える。私はこの鋳造行為の複雑なプロセスの中でも、特に鋳型の焼成と、鋳造作品の表面の研磨後に行う表面処理に大きな魅力を感じている。なぜなら、この二つの行為が、共に火を使用する行為だからである。
物質を燃やしながら光と熱のエネルギーを発散させる火は、自分の幼年期の記憶にも、大きな存在としてある。韓国では1月15日、旧暦の正月に「ブルジップ焼き」という、大きな行事が行われる。ここで子供たちは、缶の中に木等を入れ、火をつけて遊ぶ「ジュイブル遊び」をする。単純な遊びだが、「ジュイブル遊び」は漆黒の闇の中に美しい場面を演出する。缶を回す時に生み出される光の様々な円形は、「連続性から得られる痕跡」と言うべきものだった。
鋳造行為と私の幼年期の接点は、「火の利用」と[変換]だった。火によってある物質が新たな形と性質に「変換」されること、そして変換の過程で偶然に生み出されるイメージに深い魅力を感じたことから、自分の作品制作に、この火が通った痕跡のイメージを融合させることで、自分だけの新たな質の演出が可能ではないかと考えている。また、火(光)を記憶の痕跡として再認識し、過去の自分の痕跡を現在の自分の感情や感覚等と結び付けた鋳造作品として提示することで、作品の表面から得られる質と過去の火の痕跡から得られた風景を、四角い展示場に演出しようと試みている。
それが、作者と観者の理解のきっかけになればと考えている。
第1章「造形の要素Jでは、過去から現在に至るまで、自分の無意識の中に存在する記憶を起こすものは何なのかについて記述する。そして、美術工芸品の分野で作品を構成する3要素である色、質、そして形が「音j 、「匂い」、「場所」という自分だけの新たな造形要素に染み込まれていることを提示して、それをもとに自分の作品がどのように展開してきたのかについて述べる。
第2章「行為から痕跡へ」では、自分が経験した鋳造行為と、幼年期の火のエピソード(行為)との関連性について述べる。そして、火のエピソード(ジュイプル遊び)から得られたイメージが、現在どのような形として残っているのかを、当時の実際の風景などと結び付けて記述する。
第3章「作品制作技法」では、自分が対象をみる視覚と考え方に大きく影響した2年間の大学院前期過程を再考察する。そして、自分が主に使用するブロンズと真鍛の金属的特性と性質について記述し、自分の作品との関連性について検証する。
第4章「提出作品」では、博士課程入学から現在に至るまでの3年間の研究実績と、提出作品の背景となっているコンセプトについて論述する。そして自身の持つ感覚が造形に変換されるプロセスを、表面処理技法と金属の表情の分析から詳述し、自分の表現意図と記憶の接点、そこに存在する自分とは何なのかについて記述する。
美術工芸の分野において表面の色や質感、そして型は、金属鋳造作品を形成する三要素である。中でも色彩と質感は、鋳造作品の完成度を左右し、作家の概念や思想などを代弁する重要な要素であると同時に、鋳造作品としての表現の可能性を提示する必要不可欠の要素であり、また、作者と観者を疎通させる、媒体であるとも言える。私はこの三要素が、「音」、「匂い」、「場所」という自分だけの造形要素に染み込まれていることを提示する。
私が韓国で鋳造を学びながら、最も悩んだのは、鋳造されたもの(完成品)と自分のイメージとのアンバランスであった。言い換えれば、鋳造作品の最終の段階で、作品の完成度を左右する着色と表面処理技法の技術的な限界であった。私はその時から鋳造作品の色彩と質、すなわち表面着色と表面処理に関する研究の重要性を切実に感じるようになった。この考え方は、自分の作品制作で、大きな比重を占めるようになり、そこから自分だけの独創的な表現をしようとした。そこでは金属表面に生じる質と、自分の記憶の中に存在するものの接続に最大の主眼をおき、その接点はどこなのか、自分の記憶をいかに形として存在させられるかについて悩むようになった。この答えが、自分の鋳造行為と、幼年期のいかなるエピソードとの関連性にあるかを明らかにする。
鋳造行為とは、自分の感覚と感情を素材を用いて成形し、その形を最終的に金属に「変換」 させる行為をいう。言い方をかえれば、自分の考えや感情、感覚などから生じるエネルギーを、文化や芸術などのエネルギーに「転換」させる行為とも言える。私はこの鋳造行為の複雑なプロセスの中でも、特に鋳型の焼成と、鋳造作品の表面の研磨後に行う表面処理に大きな魅力を感じている。なぜなら、この二つの行為が、共に火を使用する行為だからである。
物質を燃やしながら光と熱のエネルギーを発散させる火は、自分の幼年期の記憶にも、大きな存在としてある。韓国では1月15日、旧暦の正月に「ブルジップ焼き」という、大きな行事が行われる。ここで子供たちは、缶の中に木等を入れ、火をつけて遊ぶ「ジュイブル遊び」をする。単純な遊びだが、「ジュイブル遊び」は漆黒の闇の中に美しい場面を演出する。缶を回す時に生み出される光の様々な円形は、「連続性から得られる痕跡」と言うべきものだった。
鋳造行為と私の幼年期の接点は、「火の利用」と[変換]だった。火によってある物質が新たな形と性質に「変換」されること、そして変換の過程で偶然に生み出されるイメージに深い魅力を感じたことから、自分の作品制作に、この火が通った痕跡のイメージを融合させることで、自分だけの新たな質の演出が可能ではないかと考えている。また、火(光)を記憶の痕跡として再認識し、過去の自分の痕跡を現在の自分の感情や感覚等と結び付けた鋳造作品として提示することで、作品の表面から得られる質と過去の火の痕跡から得られた風景を、四角い展示場に演出しようと試みている。
それが、作者と観者の理解のきっかけになればと考えている。
第1章「造形の要素Jでは、過去から現在に至るまで、自分の無意識の中に存在する記憶を起こすものは何なのかについて記述する。そして、美術工芸品の分野で作品を構成する3要素である色、質、そして形が「音j 、「匂い」、「場所」という自分だけの新たな造形要素に染み込まれていることを提示して、それをもとに自分の作品がどのように展開してきたのかについて述べる。
第2章「行為から痕跡へ」では、自分が経験した鋳造行為と、幼年期の火のエピソード(行為)との関連性について述べる。そして、火のエピソード(ジュイプル遊び)から得られたイメージが、現在どのような形として残っているのかを、当時の実際の風景などと結び付けて記述する。
第3章「作品制作技法」では、自分が対象をみる視覚と考え方に大きく影響した2年間の大学院前期過程を再考察する。そして、自分が主に使用するブロンズと真鍛の金属的特性と性質について記述し、自分の作品との関連性について検証する。
第4章「提出作品」では、博士課程入学から現在に至るまでの3年間の研究実績と、提出作品の背景となっているコンセプトについて論述する。そして自身の持つ感覚が造形に変換されるプロセスを、表面処理技法と金属の表情の分析から詳述し、自分の表現意図と記憶の接点、そこに存在する自分とは何なのかについて記述する。
審査委員
赤沼潔 佐藤道信 豊福誠
赤沼潔 佐藤道信 豊福誠